キム・ヨンテ、生まれて初めて花を贈る・・・の巻

おかげさまで、いくつかの演奏会、レッスン、CD制作に奔走しブログがまったく書けない状態でした。なので、ちょっと前の話題になりますがご容赦を。

青山 忠マンドリンアンサンブルのコンサートを翌日に控えた8月22日、翌日のコンサートのスタッフの中心人物で有らせられるオサカベ師匠こと越阪部さんも出演される「マンドリンアンサンブル・ベルセゾン」のコンサートに行ってまいりました。会場は川口リリア音楽ホール、平日の昼間にも関わらず満席、プログラムから演出まで趣向を凝らした素晴らしいコンサートでした。

タイトルにもありますが実はわたくし、これまでの人生で女性に(もちろん男性にもですが)花を贈ったことがないのです。というか、花屋で花を買ったことすらないのです。いや、正確には過去に一度だけあったのでした。そしてそのことが原因でその後二度と花を贈ることはなかったのでした。それはそれは恐ろしく、そして悲しい出来事でございました・・・。


あれはまだわたくしが小学校に上がる前の、ある年の母の日でございました。
数日前から「母の日にはカーネーションを贈ろう!」という空気がわたくしの通っていた荒川区の西日暮里保育園にも蔓延しておりました。我が家は子沢山で、しかも父親がただでさえ安い給料を見境なく自分の飲み代に充ててしまうという典型な昭和の貧乏家庭、内職をしながらなんとか家族の糊口をしのいでいた母にカーネーションをもらって喜ぶ余裕があるとはわたくしには到底思えなかったのですが、保育園の先生に「ヨンテちゃん、お母さんは口ではいらないと言っていても、もらったら絶対に嬉しいものよ!」と励まされ、とうとうカーネーションを一輪買って大好き母に贈る決意をしたのでございました。

保育園から帰ったわたくしは母にお小遣いをねだりました。「何に使うの?」母は疑わしそうな目でわたくしに聞きました。世間の空気を察していたのでしょうか「カーネーションとかつまらないもの買うんじゃないだろうね?」と母。わたくしは若干動揺しましたが先生の言葉を思いだして勇気を振り絞り「違うよ、ちょっとね・・・」と言葉を濁しました。いや、罪深きわたくしはその時はっきりと母にウソをついたのでございます。そして、母にもらった50円だか100円だかの小銭を握り締め、忘れもしない、ピンクのカーネーションを一輪買って来て母に渡したのでした・・・それから先のことはもうあまり記憶にはございません。気がついたら、鬼の形相でホウキを持って追いかけてくる母から必死に逃げて逃げて、そして外まで裸足で逃げ出し、とうとう逃げ切ったのでございました。わたくしは二人の弟たちと違って母に苦労をかけまいとそれまで良い子で過ごしていたので、母に怒られたことがありませんでした。弟たちと違い「怒られ慣れて」いないわたくしは、もう二度と家に戻れないだろうと絶望的になりましたが、数時間後に恐る恐る家に帰ると母は何事もなかったように迎え入れてくれたのでございました。考えてみれば、カーネーション一本分とは言え、その金額を得るために母は内職で何着分の洋服の下地の仮縫いをしなければならなかったことでしょうか…わたくしは激しく後悔し、反省したのでした。そしてこの話は「キム家三大悲話」のひとつとしてその後長く語り継がれることとなるのでございます。


あれから四十数年、8年前に結婚もしましたが未だ妻に花を買って帰ったこともないほど「花より団子・トラウマ」は根深くわたくしの心に棲み続けていました。しかしどうしたことでしょう、オサカベ師匠のコンサートに向かいながら「あ、オサカベ師匠に花を贈ろうかな?…いや、贈るべきなのだっ!」という考えにとらわれて、やがてもうその思いを止めることが出来なくなったのでございます。わたくしの足は半ば勝手に花屋に向かっておりました。一瞬、あの時の母の鬼の形相が頭をよぎりましたが、勇気を振り絞ってショーケースの中の小さな花束を購入したのです小さな花束にしたのはもしかしたら花束を贈ったとたんオサカベ師匠がその花束を振り回しながらぼくを追い掛け回すのではないかという恐ろしい妄想を捨てきれず、大きな花束より小さい花束のほうがダメージが少ないだろうという防衛本能が働いたのかもしれません。

 
終演後、なかなかタイミングを計れませんでしたが、楽屋から出てきたオサカベ師匠に勇気を振り絞って花を渡しました。なんといって花を渡したのか憶えておりません。きっと声も震えていたことでしょう。もしかしたら無意識に退路を確保していたかもしれません。一瞬ギロっとわたくしの顔を睨んだように見えたオサカベ師匠の顔が途端に柔らかくなり「あら~乙女ゴコロをわかってる~ん♥」と嬉しそうに小さな花束を受け取ってくださったのでした。こうしてオサカベ師匠はわたくしの人生で初めて花を贈られた女性、正確にはカーネーション一輪を贈られた母に続き、二人目に花を贈られた女性になられたのでございます。


果たして、わたくしのトラウマは克服できたのかどうか?今はまだわかりませんが、とりあえずめでたしめでたしということで…。さて、次に花を贈られるのはあなたかもしれない!?

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コメント: 4
  • #1

    森田由美 (金曜日, 05 9月 2014 23:00)

    ツマでしょ!(今でしょ!風に)

    ふむぅ、母親からお小遣いを貰って買ったのが災いしたのですね

    お母様は今もその事覚えていらっしゃるかしら

  • #2

    guitarkim (金曜日, 05 9月 2014 23:27)

    母は覚えてないと思います。実際に母は花は人一倍好きなんですよ。あの頃は苦労しすぎてたんだなと思います。

  • #3

    ふみあき (土曜日, 06 9月 2014 01:52)

    我が渡邉家も昭和の貧乏家族で
    中学1年生の時に24時間テレビに寄付だか募金をしたら
    父親に
    「他人にあげるために小遣い渡してるんじゃないんだよ
     どんだけ苦労して小遣い渡してと思ってるんだ!
     自分で稼げるようになってからにしろ!!」
    って怒鳴られた。私は寄付や募金がトラウマ・・・。

  • #4

    guitarkim (土曜日, 06 9月 2014 05:57)

    ぼくはある意味「花より団子・英才教育」を受けたので(?)わかりますね~。でもお父上は正しいですね!